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:作品と矛盾(実感的GTS小説作法)
2004-02-02 16:16:06
By:笛地静恵
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1・
 難しい問題です。長文になると思います。お断わりしておきます。内容が複雑だからです。参考までに、笛地がどのようにGTS小説を書くのかという過程について説明します。

2・
 最初にあるのは、「仕掛け」でも「テーマ」でもありません。「絵」があるのです。たとえば、「身長55メートルの巨大ゴマキが、渋谷で制汗スプレーをつけている。」という「絵」に、たどりつきたいのです。

3・
 その時に、科学的根拠は考えるか?たとえば、なぜゴマキの身長が、55メートルに巨大化できたのかという物理学的問題。55メートルの巨人が、汗をかくのかという生化学的問題等々。このふたつについては、書ければよいなあと、いつも切実に思います。しかし、笛地には理系的素養が、まったくないのです。

4・
 そのために、以下の、文系でもなんとかなる分野に字数を費やして、辻褄を合わせようと苦労することになります。どうして、巨人のための制汗スプレーが、用意されているのかという社会学的問題。なぜゴマキちゃんは、自分の汗の匂いを気にしなければならないのか、という心理学的問題等々。

5・
 このような複雑な問題群を解決していくためには、「仕掛け」を考えます。知恵を振り絞ります。それを考えていく過程で、自分にとって身長55メーロルのゴマキちゃんが、よりリアルに感じられてくるためです。この過程が、物語を作る醍醐味だと思います。

6・
 それから、最近、気に掛けている問題があります。場所という問題です。大小というのは、理論的には比較の問題です。ゴマキちゃんの存在する、渋谷という街を出来るかぎり、リアルに頭の中に作ります。そうすると巨大さが、実感として感じられてくるのです。「109」との比較も同様です。

6・1
 たとえば「渋谷」というのは、名前の通りに「谷」にあります。渋谷駅に向かっては、どの方向から歩いていっても、だいたい坂を下ることになります。そして、「109」のビルは、駅から坂を上った辺りにあります。自分が駅に立っているとして、ビルを見上げていることになります。大きなビルです。あのビルを、制汗スプレーにできるゴマキちゃんの巨大さが、より鮮明に自分に見えてくるということです。もちろん、場所の情報のすべてを書くことはできません。

6・2
 笛地の文章を「細密描写」なのだと言ってくれた方がいます。が、実感としては笛地は場所の描写は、最小限にしています。状況が分かれば充分です。あの何倍もの情報量が、イメージにはあります。

7・
 視覚だけではないのです。聴覚もあります。笛地の、どうしようもないフェティシズムに、嗅覚があることはご存じだと思います。ゴマキちゃんの甘い汗の香を、風に感じて陶然としています。嗅覚を仮想体験できるのか?体験がないと、共感できないことだと思いますが。できます。醒めていて、夢を見るというと、いちばん近いでしょうか?

8・
 どうして最小限なのかと言えば、「細密描写」をしていては、鈍重な作品になってしまうからです。『幻魔大戦』を書いた平井和正というSF作家は、「読者を最後の一行までひっぱっていく力」を重視していました。これを『ベクトル感覚』と呼びました。笛地の重視しているのも、この『ベクトル感覚』です。それが、文章にあるかどうかだけだと思います。「細密描写」は、この『ベクトル感覚』の目標とする方向と、反対の方向のベクトルとなる可能性さえあります。省略せざるを得ません。

9・
 最初の「絵」に辿り着きたいという欲望だけです。笛地の場合は、緻密な作品世界の構成というのは苦手です。たいてい思いつきで書いています。自分に、ある妄想を書かせようとする力の方が強いです。GTSゴマキちゃんという巨大な個性に、自分を描くように促されています。

10・
 意識と無意識の、中間地帯で書いています。このあたりは、読者の方が、笛地の世界が、いい加減にできているということが、より分かっていることでしょう。仕方がありません。書き飛ばしているのです。速度感が完成度よりも、より重要です。快感の源泉です。一気に書きます。そうしないと、想像力の世界の密度が、保持できません。

11・
 せめてもの、自分に対するブレーキというのか、制限というのか、そういうものとして、古い物語を借りています。ご存じの通りです。あれは。笛地の妄想の暴走を食い止めるための、一定の歯止めなのです。ただのパロディをしているのではありません。どうしても必要なものです。物語作者としての力の不足を補っているのです。

12・
 後は、「身長55メートルの巨大ゴマキが、渋谷で制汗スプレーをつけている。」という絵に向かって疾走していきます。

13・
 それから、たとえば「女性は、身だしなみに気をつけるべきだ」という「テーマ」は、書き始める段階では少なくとも存在していません。「仕掛け」と「テーマ」というのは、完成した作品について、後で外部から定点観測しているから、そこにあると見えるものだと思います。

14・
 創作の現場においては、それらは流動しています。まだはっきりとした形としては、見えてないというのが実感です。たとえば笛地が自分の近作に、「戦争と狂気」というテーマがあるということに気が付くのは、完成から数か月という間隔をおいてからのことです。読者に、いくつかの「仕掛け」のように見えているものは、たぶん文章を書きながら、閃いている小さな発見の集合体です。単体で存在していません。

15・
 最後の一行に辿り着く『ベクトル感覚』だけが頼りです。そして、作者は、そこに辿り着けることを、経験的に知っています。それを信じなければ、書けないでしょう。頭で作った作品は、後まで印象に残らないような気がします。鋭くはあっても、深くないのです。無意識に頼った方が、いくつかの「絵」が読者の心に残るように思います。

16・
 思いつくままに書きました。いくらかでも創作をする方の、参考になれば幸甚です。こうでないという方も、いらっしゃると思います。笛地にとって、創作とは極私的な体験です。リレー小説への参加が不可能な理由も、説明していると思います。実体験を、教えて頂ければ嬉しいです。

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