原題:Castaways in Lilliput
公開日:2003.09.16
更新日:2004.09.17
■物語
ペギー、ラルフ、ジムは、小さなボートで海上を漂流していました。岸に戻りたいという3人の願いとはうらはらに、ボートは岸から離れていくばかりです。そしてとうとう岸は見えなくなって、見えるのは海ばかりとなってしまいました。波は高くなり、いつしかボートは沈みそうに。必死に3人はボートの中にたまった水を帽子で汲み出してがんばったのです。
3人が目を覚ましたのは、ボートが何かにぶつかったときでした。3人はいつしか疲れ果てて寝てしまったのでした。ボートがぶつかったのは砂浜でした。早速3人はボートを浜に引き上げると、助けを求めて人を探しはじめたのです。
3人はとても奇妙な感覚に襲われました。目にするもの全てが非常に小さかったからです。まるで自分達が巨人にでもなってしまったかのようでした。そしてそれは半分正しかったのです。3人は小人の国「リリパット」に漂着してしまっていたのでした・・・
■背景
ヘンリー・ウィンターフェルトが書いた「Castaway in Lilliput」をご紹介します。ウィンターフェルトは、少年少女向けにいくつかの物語を書いていますが、この物語もその一つです。日本では「小人国(リリパット)漂流記」として翻訳出版されました。
タイトルからお分かりになると思いますが、スイフトのガリバー旅行記が下敷きに使われています。ガリバー旅行記のリメイクではなく、ガリバーが訪れた250年後のリリパットが舞台となっています。読者がガリバー旅行記を読んでいることを前提に書かれていますが、読んでいなくとも面白く読める物語です。
■発展したリリパット国
ガリバーが訪れた頃のリリパットは、ガリバーの時代の文明水準よりも少し遅れていました。言葉も英語ではありませんから、ガリバーはリリパットの言葉を覚えてリリパット人と会話をすることになりました。しかしペギー、ラルフ、ジムが訪れた時のリリパットはガリバーが訪れてから後、250年の間に大きく変わっています。
中でも大きな変化は言葉でしょう。言葉は、ガリバー訪問の影響を受け、英語が標準語になりました。もともとのリリパット語よりも優れた英語を使うようになったのだとか。
また、工業技術も250年の間に大きく変貌しました。鉄道、自動車、ヘリコプターなどが登場します。また電気も使われています。こうした技術が私たちの世界と平行して発展している理由は、説明されていませんので、謎としか言い様がありません。
■小人国へいくということ
ガリバー旅行記はその冒険によっていくつかの部分に分かれています。その中で最初の部分である小人国は、物語全体の中でかなりの部分を占めています。それゆえインパクトもあり、時としてガリバーは巨人の象徴として引用されることもあるほどです。しかしガリバーは巨人ではありません。
リリパット漂流記では、普通の子供たちが、自分達が巨人のように振舞えることに戸惑いを感じながらも行動していくところがいくつもあります。そうしたところに、巨人なのか小人なのかという大きさの問題は、相対的なものなのだと感じさせてくれるのがこの物語です。
もちろん大きさの問題は、相対的なものなのだということは、ガリバー旅行記で結論されています。しかし小人の国に迷い込んだのが3人であるということが、相対的な大きさの問題をガリバー旅行記よりも分かりやすくしてくれています。
■挿絵
手もとにある日本語版と英語版は挿絵が違います。右の挿絵は日本語版のもので、レギーネ・オフルス・アッカーマン(綴り不明)によるものです。アッカーマンはウィンターフェルトとしばしば組んで本を出版していますので、原作者のイメージに近いかと思われます。少年たちの目線で描かれ、暖かみのある線が特徴的です。
英語版はKurt Cyrusが新装版を出版するにあたり書き下ろしたものです。臨場感溢れるリアルな描写は、アッカーマンのものとは対照的です。構図も映画的で、少年たちと大人たちの大きさの対比が印象的な描き方になっています。
いずれも素晴らしいイラストで、物語をいっそう面白い物にしてくれていることに違いはありません。
■最後に
文中の敬称は省略させていただきました。
■小人国漂流記
[img]■Castaways in Lilliput
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