原作・脚本・監督:安彦良和
公開日:2009.05.17
更新日:2009.05.17
■あらすじ
ティターン神族が支配する世界。神として万物の頂点に君臨するティターン神族らは、神としての力を禍々しい権力争いに向けるばかり日々を過ごしていた。そんな神々の争いに、人類は翻弄されていた。そんな争いとは無縁の辺境の地に、アリオンは母デメテルと二人、静かに暮らしていた。
ある日、デメテルのもとに、ハデスが現れた。ハデスはアリオンの気性が、自分の企てを成就する道具として使えると考え、デメテルに断りなしにアリオンを自分のもとに連れ帰ってしまった。懸命に探すデメテルだが、ハデスの居住する冥府に連れて行かれたアリオンを引き戻すことは出来なかった。そのハデスの企てとは、ゼウスを暗殺することであり、アリオンはそのための暗殺者として育てられていった。
やがてアリオンは、少女レスフィーナと出会い、やがて自分の出生の秘密を知ることになる。それは、自分を取り巻く運命を知ることでもあった・・・
■作品解説
この作品は、安彦良和原作の漫画作品をアニメ化したものです。非常に緻密に作られた物語が下敷きになっている上、アニメ自体も細かい部分にまで配慮された作品なので、何回見ても新しい発見をすることができます。映画として素晴らしい出来映えで、一見の価値がある作品です。
この作品は、手塚治虫の作品「どろろ」へのオマージュだと思われます。どろろが戦国時代の日本を舞台とし、アリオンがギリシャ神話を舞台としているものの、物語は非常に酷似しています。
主人公は、自分の出生の秘密に操られるように、様々な試練に打ち勝ち、やがて一般民衆の力で成り立つ国家樹立にまで関わっていきます。百鬼丸アリオンと百鬼丸の共通項は、それだけではありません。常に主人公にまとわりつく、盗賊の子供がいます。タイトルと同じ名前のどろろ。そしてセネカ。つきまとう理由は、主人公の刀を盗み出すこと。しかもこの子には、同じ秘密まであるのです。
こうした類似性は、安彦良和の手塚作品への想いのほどの現れだと考えられます。どろろは、原作漫画だけでなくアニメ作品、さらには実写版もあります。今回紹介いたしましたアリオンと見比べてみることができたなら、両作品の面白さを倍増させることになるでしょう。
注:文中の敬称は省略させていただきました。
■ガイアについて
この作品には、ガイアという巨大な女神が登場します。
ガイアとはギリシャ神話で大地の神であり、この作品に登場するガイアはそのイメージを絵的に象徴した巨大な体で表現されています。またガイアはティターン族の母という存在でもあり、この作品ではゼウスも文字通り赤子のようにガイアにあしらわれています。
この作品では、さらに神々の時代の象徴としての役割を持っています。体の大きさは、神々の繁栄の象徴でもあるのです。またガイア自身が居座る場所は、大地の胎内であり、ゼウスが赤子に戻れる場所でもあるのです。
そんな胎内に進んで入ってきたのは、神の力を奪われた男と人間の少年です。二人は人類の英知の象徴で、巨大な神々の力に面と向かって対峙することになります。体格の差は見た目に明らかであり、非常に分かりやすい形で、力の差を表現しています。
しかし巨大な力を持ってしても抗することのできないものがあることをガイアは知ることになります。ガイアの居住する場所は、抗することのできないものから逃れるためだったのかもしれません。そのようにして考え合わせて行くと、ガイアが何故横たわったように暮らしているのかが理解できます。
ガイアが恐れていたものとは何であるかは、この映画のテーマとも関わるので、これ以上触れるのは避けたいと思います。
■アリオン
[img]■アリオン
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