灰谷健次郎 作
公開日:2003.01.14
更新日:2007.08.17
■あらすじ
生まれ変わりたいと思うことだけが生きがいの人間にとっては、自分の国も家庭も必要ではない。(本文より引用)
少年は幼くして父を亡くし、母子家庭の3人兄弟の長男として育った。家は貧しく、母は父を亡くして以来、少しおかしかった。しかし、そんな少年に望みを与えるものがあった。それは2冊の本。トール・ヘイエルダールの「コン・ティキ号探検記」とアラン・ボンバールの「実験漂流記」だった。
貧しさの中、荒んでいく少年の心の支えは、それだけでなかった。一人のホームレス。「だれでも」のおっさん。だれでものおっさんは、だれでもの土地に住んでいた。そのおっさんの住み家の前もだれでもの空き地。その空き地で船大工から盗んだ見よう見まねの技術で、少年は一艘のヨットを作り上げた。外洋にでも出られそうな立派な船だ。少なくとも少年の目にはそう映った。
16才のある日、少年は船を完成させると母を兄弟にまかせ、一人きりで外洋に乗り出したのだった・・・
■解説
本編の「第一の章」だけをあらすじで紹介させていただきました。巨人が登場するとは思えない書き出し。シリアスな内容。情景描写から人間の心の動きを表現する文章は、やがて灰谷健次郎氏らしい優しい世界観へと続いていきます。そして、その世界こそが巨人たちの国なのです。
子供の心理描写をさせたらこの人の右にでる作家は、そうそういないのではと思われる灰谷氏。その表現力は、巨人の少女「ネイ」と主人公の少年「我利馬」との関係の表現で真骨頂を発揮します。
ネイは我利馬よりいくらか年下。ネイの身長についてのはっきりとした記述はありませんが、第三の章に「なにかの現象で一メートル六十四センチの自分の体が、三十センチくらいの長さに縮んでしまったのではいかということだった。」と書かれていることから、ネイたち巨人は、5倍くらいの大きさの人間だということが判ります。
そうした大きさの違いを乗り越えて、2人の間にはだんだんと愛と呼べるものが育っていきますが、周囲には理解されません。全く理解されなかったという訳ではないのでしょうが、我利馬自身感じている通り、この巨人の国でネイの庇護無しでは外を歩くことさえ危険な有り様。自立した人間とは認められる訳もなく、ネイの気持ちはペットへの愛情と男への愛とが混同されているように周囲に取られているのです。やがてヨットを直した我利馬は、巨人の国を去るように周囲に諭されます。
クライマックスは感動的ですが、この物語の面白さは、そんな一部にある訳でなく、そこに至る過程にあるのです。第一の章で国や家庭を捨てる決心に至る過程。第二の章で独りで自然の大きさや力に立ち向かう様。第三の章で巨人の国での新しい生活と淡い恋へのエピソード。第四の章で再出発の望みと戸惑い。そうした経緯の部分があるからこそ、この物語は面白いのです。それに灰谷氏自身、あとがきにおいて、大河小説の序章に過ぎず今後一番書きたい話だと書いています。つまりこの小説は、まだまだ続きがあるのです。ぜひ続きを読みたいし、書いていただきたいと思います。
■ご冥福をお祈りします
灰谷健次郎氏は2006年11月23日にお亡くなりになりました。少年少女への情愛に満ちた小説を書いた灰谷氏は、実生活でも少年少女の立場でありつづけました。灰谷氏の死去により、本作品の続編は期待できぬものになってしまいました。非常に残念です。
■我利馬の船出
[img]■我利馬の船出
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