BRIGADOON まりんとメラン

第21話 萌葱色、永遠に…

物語

浅葱まりんは、アッハ〜ンが口癖で妄想癖全開の清く明るい少女。ちょっと早とちりなとこともあるけれど、その性格が幸いして、辛いことも悲しいこともすぐに乗り越えられる清貧少女だ。

まりんは、まだ赤ちゃんのころに長屋に住むモト婆ちゃんに拾われ育てられた孤児。モト婆ちゃんだけでなく長屋に住む人たちに愛され、長屋の全体が家族となって育んだ子だ。まりんは、長屋の人々と助け合いながら貧困にもめげずに、毎日を楽しく生活していた。

そんな大阪万博を来年に控えた平穏な日々を打ち砕いたのは、突如世界の空を覆った蜃気楼だった。世界の空を覆った蜃気楼は、まるで逆さになった別の世界のようであった。

ブリガドーン。

それがその世界の名だった。そしてそれは蜃気楼などではなく、そこから現れた一体の生体兵器モノマキアが降りてきたのだ。

突如、長屋に降り立ったモノマキア。そして突如襲われたまりん。どうやら狙いはまりんの命のようである。モノマキアの執拗な攻撃に、持ち前の運動神経でかろうじてかわしながら逃げ回るまりん。しかし根津神社に着いたところで追いつめられてしまった。

そのときだった。ご神体として神社に保管されていた瓶、アンプルが壊れたとき、中から別のモノマキアが現れ、まりんの危機を救ったのだった。そのモノマキアは、メラン・ブルーと名乗り、まりんを守ることが任務だと告げた。しかし、その理由は明かしてはくれなかった。

そして運命に翻弄されるまりん。次々に訪れる試練は少女にはあまりに辛く、その度に心が折れそうになるが、それでも試練を乗り切るまりんだった。

第21話 萌葱色、永遠に…

次から次へと巻き起こる異変のため東京は荒れ果ててしまい、東京から避難する人も少なくなかった。如月萌(きさらぎ もえ)の一家も、東京の惨事から逃れ神戸に避難していた。

まりんが大好きな萌は東京に残ってまりんの支援をしたと願っていたものの、まりんと喧嘩そして非難されたことから母親に諭され神戸へ来ていた。そんな萌の手元に、ふとしたきっかけで美しい石を手に入れる。しかしそれは石などではなく、モノマキアのアンプルだった。

アンプルから解放されたモノマキアによって、活性化する萌の細胞。その影響で巨大化をはじめた萌。萌は自分なりに被害を食い止めるべく、巨大な体で海に向かい始めたが…

解説

ブリガドーンと聞いて思い出した古い一本の映画があります。

100年に1度現れる隔離された村。その村を人々はブリガドーンと呼んでいた。ある日そこに迷い込んだ一人の若者が、村の娘と恋に落ちて…という1954年の米国ミュージカル映画「Brigadoon‎(ブリガドーン)」です。タイトルだけでなく物語の内容からみてもこのアニメは、映画Brigadoon‎を下敷きにしているのは間違いありません。映画Brigadoon‎だけでなく、このアニメには様々な映画や小説のエッセンスが詰め込まれたオマージュ作品となっています。

主人公まりんに降り掛かる悲劇は、それに打ち勝つだけでも十分にヒロインの名にふさわしいと言えるほどの悲惨な内容です。冷酷に降り注ぐように起きる悲劇が変わり始める最初のエピソードが、巨大化した萌と再会するエピソードで、ここから物語が変化してきます。この重要なターニングポイントを迎えるために、萌ちゃんは存在していたと言えるかもしれません。このエピソードだけを見てしまうと、妙な印象を受けるかもしれませんが、全体を通した中で見れば、そうしたことも無いはずです。

巨大化した萌ちゃんは、全裸の巨大少女というアニメとしては他に類を見ない大胆な演出で、しかも自衛隊に攻撃すらされてしまいます。この作品全体で全裸シーンが多く出てきますが、ドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンのような感じだと言えば分かっていただけるかと思います。

制作側による話題作りのための作為的な所も感じられる全裸シーンですが、構成上考え抜いた結果、萌ちゃんの巨大化エピソードとなったと考えます。萌ちゃんが巨大化する必要があるかは別として、怪物化するのは物語の流れとしては重要だったはずです。萌ちゃんの可愛らしさを残したまま怪物化をさせたかったという意図が、巨大化という形で表現されたのだと思います。萌ちゃんに対する思い入れだったのかもしれません。分かり易く例を挙げれば、デビルマンレディーのようにはしたくなかったのでしょう。

詳しく解説してしまうとネタばれになってしまい、見る人の楽しみを奪ってしまうのでさらっと書きますが、巨大少女のエピソードは巨人獣と色々と符合する所が見られます。大阪に巨人出現、電気屋の展示テレビで報じるニュース、ひとり意を決して海に向かう巨人、1970年代という時代背景。ありがちな演出であるとも言えるので、巨人獣を意識したかどうかは微妙なところですが、制作側が全く知らなかったとは思えません。実際、色々な映画や小説のオマージュと思えるシーンが、そこかしこにちりばめられます。

そうしたオマージ色の強い作品ですので、SFが大好きな人であれば、本筋を別にしても十分に楽しめるはずです。全体を通して、制作側の熱意が最後まで途切れることのない、見応えのある作品だと思います。

Published : 2013.09.25
Update : 2013.09.25

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