1995年秋に劇場公開された作品です。
もしこの作品をご覧になるのでしたら、TV版を見た後にご覧になられることをお勧めします。この話はTVシリーズを見ていない方には、設定がわかりにくいと思うからです。TVシリーズの映画化にはありがちですが、上映時間が物語に対して短いためにTVシリーズを見た人をターゲットにして、物語の背景についての説明を端折ることは多く、この作品も多分に漏れずそのようになっています。
マクロスは変形ロボットと音楽、しかも初代マクロスシーリーズから脈々と受け継がれるのは「アイドルの歌う歌謡曲」を主題としているのです。多くのアニメ作品が音楽を背景の一部のように扱う中で、マクロスは音楽にこだわっていると言えます。音楽メインでストーリーを展開すると、どうしても音楽に説得力がないとなりませんが、難しいのは万人が良いと感じるような音楽では、そういった説得力は得られないところです。一般的に音楽をテーマにした映画が成功しにくいのは、こうした訳があります。この作品ではそのあたりをうまく処理しています。
仮にあなたが、主人公たちの曲に思い入れをすることができなくても、ストーリーを楽しめるように工夫されています。そのひとつに、音楽を台詞として組み込んだことです。
この作品の音楽にはライブ感があります。状況によって歌が途切れたり、アドリブが入ったり、映像と併せた効果があります。音楽が単なるバックグラウンドミュージックにならず、またミュージカルでもなく、セリフの一部として物語に組み込まれているのです。こうした演出は、監督の苦労したところに違いありません。しかし、そういった苦労が作品の表面に現れないことで、エンターテイメントが損なわれずに良い結果を生みだしています。
バサラは主人公のはずですが、どうも出番が少ないように感じます。実際に画面上に出ている時間は多いのですが、歌を歌っている場面がほとんどのキャラクターなので、セリフなどで個性を出している時間がないからでしょう。セリフが少ないので出番が少なく感じてしまう奇妙な主人公です。歌を取り上げたら何も残らないというバサラは、歌の力を演出するために上手く使われているのです。実際バサラの役目は主人公というよりも、エネルギー発生源と言った方が良いのかもしれません。
ところでゼントラーディは、人類の10倍の身長を持つ巨人種族ですが、エミリアは10倍のサイズには見えないカットが目立ちます。バサラの10倍近い大きさで絵を描くと、おそらく構図が取りにくいので、演出上の都合で大きさの比率を変えているようです。
ミリアとマックスの間には7人の子供がいる設定になっていますが、他の子供たちエピソードも物語してもらいたいです。