ある晩机に向かって、うとうとしていた私が目を覚ますと、パピーが動いていた!!
「本当に動けるのか?」
朝晩、パピーが動けたらと祈りが通じたのか、確かに自我を持ってバービーが動き出したのだ。それならば、やることは決まっている。最初から決まっていたのだ・・・
ある晩机に向かって、うとうとしていた私が目を覚ますと、パピーが動いていた!!
「本当に動けるのか?」
朝晩、パピーが動けたらと祈りが通じたのか、確かに自我を持ってバービーが動き出したのだ。それならば、やることは決まっている。最初から決まっていたのだ・・・
パピーは人間ではありません。人格を持った人形です。ですから、本来ならこのサイトで取り上げる作品ではないのかもしれません。しかし一読の価値があると思います。
まずこの作品には徹底した人形への執着を感じます。しかし実際には作品中、人形という言葉は使われていません。パピーで押し通しています。もちろんこのパピーは、有名な人形のシリーズを差す商品名の代わりに使われているのは、疑いの無いところです。そしてこのパピーという表現には、人形という言葉以上の何かを感じます。
タイトルはギリシャ神話のピグマリオンを意識したものです。しかもタダのピグマリオンでないことは、もじった部分にはっきりと現れていますので、説明の必要はないかと思います。特に解説もしません。ご想像の通りです。
パピーは人形ですが、人格を持ち、その体は人形のものではなく人間の姿をしています。それでも大きさは人形サイズです。そして彼女は人間としての権利は持っていません。そのためはっきりとした主従関係があるのです。しかし、彼女は幸福そうに見えます。実に献身的な彼女で、そうした主従関係を当然として行動します。しかしそれは一方的な主従関係と呼ぶには抵抗があります。メイドとご主人様でもなさそうです。形容しがたい独自の関係です。そうしたところに、ばぁびぃ露木氏のロマンティシズムを見ることが出来ます。煩悩と言っても差し支えないかもしれませんが、煩悩と言うよりもロマンだと言ったほうがしっくりします。
作品は3話構成になっています。第1話は導入部に当たるわけですが、いきなり本題に突入します。この辺は煩悩剥き出しです。第2話は、マスターの妹との絡みです。やはり本題にいきなり突入します。こう書くと全編本題だけのように思うでしょう。しかし、そのようなことはありません。ばぁびぃ露木氏の場合、本題の中や後で交わされる会話が重要なのです。特に後が長いことが多く、その辺りにもばぁびぃ露木氏独特のロマンを感じます。
そのロマンティシズムが良く現れているのが、第3話です。男と女のハードボイルドな空間です。他人が何かを挟む余地のない愛の空間です。食事も会話もセックスも愛の表現方法でしかありません。パピーの献身的な愛と、その愛に愛で応えるマスター。この特殊な空間をさらに特殊にしているパピーという存在。パピーは人形の大きさであるが故、献身的であり、その献身さが愛の対象となっています。パピーの小さな体が表現するものは、マスターへの絶対的献身なのだと言えるのかも知れません。
ところで、人形も酒を飲むんですねえ・・・