小池氏の作品には、ライフワークとも思える夫婦愛を描いた作品群があります。この作品もその内の一つです。現実的な女と夢を追い求めてばかりの男が、夫婦としての絆を深めていくものです。一見どうとゆうことの無いテーマですが、小池氏はこのテーマをSF、時代劇、青春ドラマなど、ありとあらゆるジャンルで書き上げることに情熱を傾けているように思えます。
この作品では、任侠の世界で生きる見栄ばかり気にするやくざの男が主人公です。ところが第3話のあたりから、主人公を取り巻く世界が大きく変化します。魔女の妻をめとる、というよりも巨大な妻の存在が、話の節目として存在するのです。さらに夫婦生活の最初の危機を迎えて乗り越えたところから、全く任侠の世界は出てこなくなります。
巨大な体をはい回る男が愛情を注ぎながら、現実に目覚めていきます。「巨大な体=圧倒的な力」という中で、肉体的なところから精神的に打ち負かされていく主人公。それを乗り越えたとき、精神的に一回り大きくなった主人公が夫の地位を回復します。小池氏らしい作品です。叶精作氏という絵師とのタッグは、小池作品の中で最も強力だと言えます。ですので、この作品で小池氏は、自身の女性観のほとんど語り尽くしているように思えます。
この作品以前に示された小池氏の世界観は、この作品に全て登場しています。巨人妻はもちろんですが、夫への誘惑や夫婦の危機、人生の挫折、愛情論など、全てが詰め込まれています。この作品にも男への誘惑は数多く盛り込まれていますが、それよりもある意味で悟りを開いた男が、誘惑そのものを誘惑と感じない強さを得ていることを示すエピソードが多く盛り込まれています。こうしたエピソードは、ちょうどこの作品の時期から小池作品に見られるようになったと思います。
ミューズの完璧で巨大な美しい体を目前にしながらも、性への誘惑とはならない男が小池氏の理想なのかもしれません。性欲を否定している訳でないエピソードもありますので、男が性欲を失った訳ではなく、ただ美しい体では誘惑することが出来ない男なのです。
この男性像は、本宮ひろ志氏の描く男性像と共通項があるところが興味深い所です。本宮作品にも巨人女性はたびたび登場しますし、巨人と知りながら妻にめとったりもしますから、共通項は非常に多いと言えます。互いに意識している訳ではないのでしょうが、人生観や世界観にも共通項は多いのが興味深い所です。
ところで、小池氏自身がこの作品のアニメ化を行っています。テーマ性はそがれていますが、漫画の持つ魅力はそのままにアニメ作品「魔物語」は作られているので、機会がありましたら見ていただければと思います。