この作家は煩悩を絵にすることにかけては天才だと思っていましたが、この作品はその才能をはっきりと示しています。
ストーリーは長身女性の話としてまとまっています。サド気質の大柄な女性とマゾ気質の小柄な男性の話で、特筆するほどの内容ではないと言えます。ストーリーがつまらないということではないので、誤解しないでください。面白いけれども斬新さには欠けるという事です。が、漫画はストーリーだけではありません。
漫画は日々大量の作品が世に生まれでています。斬新さに欠けるのも無理は無いのです。この作品はどうでしょうか。十分に斬新だと思います。では、どこが斬新なのでしょうか。
大柄な女性を小柄な男性が、どのように女性を捉えているかの心象風景と現実との往来は、実に新鮮で斬新だと思います。しかし心象風景で女性が巨人として表現されるのが斬新なのではありません。そのような作品は数多くあり、時として表現手法のひとつ、あるいは記号化された表現として使われるため、意識される事の無いまま漫画を受け入れてしまっていることも多いはずです。怒りに燃えて巨大化するなどの表現は、非常にポピュラーなものだと言えます。
コミカルな心象において巨大という記号は、非現実を含んでいます。それが滑稽さとなって笑いに繋がるのだと思いますが、この作品においては巨大女性という記号は心象ではなく現実なのです。確かに誇張されていますが、非現実が含まれているコミカルな記号ではありません。さらにこの作品が凄いのは、現実と心象の境界が、物語が進むにつれ無くなってしまいます。逃れられない現実と心象が融合して行く様はまるでホラーのようですが、ホラーではありません。これをホラーと呼ぶのは明らかに間違いです。
この作品では、実際の体格差は男から見て女が2倍程度。実際の体格差を表しているのが、右のコマです。それでも大人の女性と男の子以上に、体格差があります。このような体格差が現実にありえるかどうか、言い換えるなら現実と虚構の狭間から物語は始まるのです。そしてさらに物語が進むにつれ、体格差が大きく感じられるようになります。
彼女の部屋に通された男は、彼女の体格に調度された家具に圧倒されます。巨大な体格の彼女にちょうど良い大きさは、男にとって大きすぎてまともに扱うことができません。彼女の手助けが必要な男は、ただでさえ小柄な自分の体が縮んでしまったかのような錯覚を覚えます。それがだんだんと誇張されていくのは、男の無力感が増していることの現れなのは言うまでもありません。その誇張されて行く様を現実と虚構の構図の行き来で表現しています。
それだけではありません。彼女の顔がだんだんと遠い存在になっていきます。だんだんと巨大な体が画面を占めていきます。それも腰だけとかお尻だけ、また足や股間というように局所的な表現が占めてきます。セックスと愛情とか、そういった言葉が虚しくなるほどに、絵が二人の関係を物語っています。
巨大さを表現した最たる絵は、この記事の物語の説明にあるコマだと思います。虫のようになった男から見た彼女は、女神のようでもあり怪獣のようでもあります。顔ははるかな高みの存在です。その彼女の超巨大な口の中で、とろけていく表現もあります。抱かれている時でさえ、男が相手にしているのは彼女の巨大な体なのです。
体格差の表現に構図を上手く使っています。構図だけで圧倒的な彼女の体が表現されているのにも関わらず、まるで巨大超人のような彼女に翻弄されているかように描かれているので、心象で本当に巨大に描かれた女性が出てきた時の突拍子さが消えてしまいます。大柄な肉体と超巨大な姿が、自然に融合していくのです。いつしか女性の本来の体格ではなく、超人的に巨大な姿が現実であるかのようになってしまいます。
単なるエロ漫画ではない、何か新しいジャンルが生まれたのではないかという感じすらあります。