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G-ZONEの10年を振り返る

2009.06.27

10年という歳月

G-ZONEというサイトを立ち上げてから10年が経過しました。

よくまあ10年もの間、サイトを運営してきたものだと自分でも感心しています。10年という歳月は過ぎてしまえば何のことは無い年月です。が、この10年の間にインターネット環境は飛躍的に変化し、当然のごとくG-ZONEも変化しました。その変化の中にあって、情報源としての役割としてのサイトは、多様なインターネット文化にあって基本ともいえるサイトの形態だったと再認識した10年でもありました。

公開に至る道のり

1999年、G-ZONEはジオシティーズのホームページとして立ち上げました。

G-ZONEを立ち上げる前に、すでに多くのサイトがインターネット上にありました。またサイトとは呼べないようなホームページに至っては、すでに数えきれないほど存在していました。実際、私も色々なホームページを巡って日々楽しんでいたのです。しかし、多くのホームページが更新もされず情報の正確性もなくコンセプトも中途半端なものでした。訪問者の立場に立ったサイトやホームページは非常に少なかったのです。

当時はインターネット文化の中に互助会的な意気込みが強くあったように思います。自分の欲しい情報や欲求を満たしたなら、その代償として自分の知識を公開するというような風潮がどこかあったような気がします。そうした中で、自分も何か出来ないだろうかと考え始めたのでした。

その頃は、パソコン通信からインターネットへとシフトしていた時期でもありました。当時モデムによる通信が一般的で、当時のNTTの契約に23時以降は接続時間に関係のなく電話回線が利用できるテレホーダイでの利用が主流でした。テレホーダイは当初、パソコン通信をターゲットに考えられた契約形態でしたが、それはやがてインターネットの接続に利用されるようになっていきました。G-ZONEの立ち上げ前になりますが、テレホーダイの間だけサイトを公開したこともありました。通信環境は今とは比較にならないほど見劣りするもので、静止画像ですら表示されるまでに時間がかかったものです。文字からマルチメディアへの移行を果たすには、まだまだ厳しい状況だったと言えました。それでもなお、インターネットにはパソコン通信にはない自由がありました。

今では日常に不可欠なインターネットですが、そのころはインターネットが海のものとも山のものとも判断のしようのない頃で、ホームページはもとよりインターネットを使った事のない人が大半を占めていました。実際、通信事情が良くない上にインターネットには情報源が少なく、インターネットの有用性はなかなか認識されない時代でした。インターネットがビジネスに利用できそうな事は誰もが思っていたものの、利用者が少ない中で何ができるのか、誰もが模索していました。

レンタルのホームページスペースを借りるのですら、相当なコストを支払わなければならない時代でした。広告掲載を条件とした無料のサーバが増え始め、ジオシティーズが登場したのをきっかけに、G-ZONEを立ち上げたのです。とは言え、ジオシティーズでいきなりG-ZONEを始めた訳ではありません。手当り次第に思いついた事をジオシティーズで試し、試しては挫折、そんな中で自分自身楽しみながら訪問者にも楽しんでもらうことができると知りました。大きな収穫でした。

ホームページのコンセプトは「多くの人に集まってもらい情報交換できる」場所でした。

そうしてG-ZONEのひな形が誕生、テストを繰り返して公開したのは、1999年5月1日のことでした。

ジオシティーズ時代

G-ZONE 1999 公開して間もなく情報を整理して公開するたびに、容量不足で悩まされるようになりました。ジオシティーズでが無料でホームページのスペースとして許していたのは、2MBでした。プロッピーディスクが媒体として主流だった頃でしたから、その2倍もあれば十分だったと言えるかもしれません。しかし記事が増えていくに従い、容量不足は深刻な問題でした。ジオシティーズ側も増強を重ねて12MB へと使える容量が増えていきましたが、慢性的に容量不足に悩まされました。今でこそ白状しますが、規約違反を覚悟で複数の無料サーバを繋げてG-ZONEというサイトに見せかけたりもしました。

当時、使っていたマシンはMacintosh Color Clasicc 2。10インチのモニターの一体型。当時は珍しかった3DのアプリケーションPoserにも、この小さな画面で挑戦しました。初代G-Girlは、Poserでボディを作成したハイブリッドコラージュでした。

サイトのデザインにも気を使いました。ページのダウンロードとレンダリングに時間がかからないように、それでいて目的のページを探しやすいようにデザインしました。画像が多いと、ページのダルンロードに時間がかかりますし、あまり複雑なレイアウトは当時のコンピュータではレンダリングに時間がかかました。あくまでも利用者の立場からサイトをデザインするように心がけました。そのポリシーは今でも変わりありません。

やがて作品を紹介する記事が数十にも及ぶと、人力で管理する限界を超えていると感じるようになりました。サイトの構造が訪問者の利便性を考え、リンクが数多く存在したからです。また訪問者が必要な記事をブックマークしやすいように、フレームを使わない構成だったことも管理を難しいものにしていました。

当時フリーのプログラマーとして活動しておりました折、4th Dimentionというデータベースに出会うことがありました。GUIを比較的簡単に構築でき、バックボーンにリレーショナルデータベースエンジンを持つ開発ツール 4th Dimensionは、正にG-ZONEを管理するシステム構築にはうってつけでした。またインターネットのサーバにアクセスするためのコマンドを持っているというのも、システム構築するのに非常に都合が良かったと言えます。個人サイトを管理するために専用システムを構築するというのは、非常に贅沢なものでしたが、これは後の仕事に大いに役立つ経験となりました。

専用サーバへの移行

G-ZONE 2001 2000年のある日、ジオシティーズが数日間に亘って使えなくなるという事件がありました。結局1週間以上、ジオシティーズの回復を待つしかありませんでした。無料でのサービスに対してジオシティーズからは何の連絡もありません。この事件は本格的にG-ZONEというサイトを立ち上げるきっかけになりました。

そんなとき、あるネットワーク会社の役員が、マシンを置くだけなら無料で置いてくれると声をかけてきたのです。仕事上の関係でしたが、G-ZONEには渡りに船でした。早速、Linuxをインストールしたマシンを用意したのでした。

G-ZONEを始めた頃は、現在のように個人でサーバを持ってシステムを使ったサイトを持つことは考えもしませんでした。インターネット上にサーバがあると仕事上便利なので検討していましたが、まさかこんなにも簡単にことが進むとは考えても見ませんでした。当然仕事優先でしたが、G-ZONEは仕事上も良い実験場でしたので、G-ZONEの仕組みも大きく変わっていくことになりました。

この頃になると、一般のマシンの性能も向上し、レンダリングの速度も速くなったおかげで、以前より複雑なレイアウトが可能になっていました。Javascriptも使って少し動きのあるデザインも試みたのもこの頃です。それでもデザイン上の課題は多く、訪問者がブラウザの種類やバージョンを気にしないでもサイトを閲覧できるように考慮したデザインを行うには、苦労が多かった時期でした。

順調に記事も増え、またサイズフェティッシュ・ウェブリングを通して、他のサイトと横の連携を強めた時期でした。2002年、ある事件があって一時休止に追い込まれるまでは、のんびりとインタネーットで公開を続けました。

自宅サーバへの移行

G-ZONE 2007 2002年に入って間もなくのことでした。サーバが攻撃され、やむなく一時休止となりました。好意でサーバを置いてくださったネット会社にも、迷惑をかけることとなり、改めてセキュリティの必要性を実感しました。遠く離れたサーバを管理するのは、非常に困難だと実感しました。攻撃された時、リモート(遠隔操作)でハッカーと戦うのは無理だと悟りました。自前でサーバを設置する夢は断たれたように思えました。

この頃になると、インターネット周辺の整備が急速に行われていました。数社が同じ地区で常時接続の回線サービスを始めたことです。我が家もそうした常時接続のエリアに入ったのでした。奇しくも低コストで自宅にサーバを設置できることが可能となったのです。そして4ヶ月の休止期間を経て2002年の5月に仮復旧しました。

2003年を過ぎると、仕事上の都合から、ほとんどG-ZONEに手を入れられない日々が続きました。記事更新ももちろんですが、年々進化するインターネット環境に対して、何も出来ずにいるのが残念でなりませんでした。ようやくシステムにテコ入れできたのは、2007年のことでした。

2007年にリニューアルしたサイトは、現在のサイトそのものです。以前のサイトからデザインが変更されましたが、裏方のシステムも全く違うものになりました。

歴代G-Girls

G-ZONEの表紙を飾った歴代のガールズは、ウルトラマンをイメージしたものです。

初代G-Girl

G-GIRL 当初、G-ZONEに画像はありませんでした。できるだけ軽いページにしたかったからです。それと初代から3Dで表現したいと思っていましたが、当時のマシンでは限界が低いのと、3D作品制作の腕前が無かったこともあってなかなか実現できずにいました。そこでハイブリッドコラージュでごまかした経緯があります。顔の部分は手描きで、胴体部分にもかなり手が入っています。

実は3Dにこだわった理由があります。G-ZONEで紹介する作品は様々なジャンルですので、例えばイラストにしてしまうと、紹介記事とのギャップを感じてしまうかもしれないと考えていたからです。表紙は紹介する作品のイメージと被らず、それでいてテーマを象徴するものが良いと考えていました。3DCGなら、当たり障りの無いところじゃないかと。そして初代ガールが試行錯誤の中、誕生したのです。

右の画像は、当時のものとは微妙に違います。公開当時の原画が見当たらず、製作途中の画像から当時の画像を復元しました。

2代目G-Girl

G-GIRL 2代目は、PoserによるフルCGです。例に漏れずPoserで製作したものです。顔の部分はPoserに搭載されたモーフ機能を使って相当に手を入れました。満足と呼ぶには遠いものでしたが、当時の製作環境を考えると、これが限界だったと思います。

Poserは、もともとスケッチ人形の代わりとして登場したアプリケーションです。そのためモデルの細かいディティールよりも、操作性に重点の置かれたアプリケーションでした。そのスケッチ人形が、人形を超えた表現を得たのがPoser4だと言えると思います。

改めて見ると、苦労した割にはちゃっちいですね。バスは、ただのボックスに実物の写真を張り込んで作ったものです。

3代目G-Girl

G-GIRL 3代目は、Yamato氏のデザインによるRanranさんです。偶然に見たギャラリーでRanranさんの存在を知り、Yamato氏に了解を得て起用しました。RanranさんはPoser界の名作モデルですね。おかげさまでG-Girlにもファンがついたようです。

バスなどの小道具類は、六画大王という廉価なアプリケーションを使って製作しました。六画大王はモデル作成に必要な最小限の機能を持ったアプリケーションで、シンプルに使えて良いと思います。バスはもう少し時間をかけて作り込めば良かったと思っています。おもちゃのバスを抱えているみたいですね。

4代目G-Girl

G-GIRL 4代目は、再びオリジナルのモデルです。Poserの機能を利用して標準で付属するモデルの顔をリメイクしたモデルです。Poserも進化して、ずいぶんと多機能になったものです。

元はジェシーさんですが、ジェシーさん特有の厳しい顔つきを消したデザインを心がけました。モデルのデザインをするにあたって、無国籍な雰囲気の女性ということで、日本人のハーフかクォータあたりの女性を狙ってみました。

製作に当たり人種別の特徴的な骨格を色々と調べましたが、その中で特に日本人の特徴的な顔の骨格については色々と考えさせられました。調べて聞くうちに、日本人の美人顔というのは骨格的に見て頭蓋骨の形状が東アジア系でありながら、 顔立ちは西アジアや東欧系に近いのではないかと思うようになりました。例えばスロバキア人の女性は、目や髪の色こそヨーロピアンですが、顔立ちは非常に日本人に似ていると思います。別の視点に立てば、ジェシーをベースに日本人要素を多く持つ顔立ちをモーフデータで表現することは可能だと思いました。

そんな理屈ともかくとして、ジェーシーベースのモーフで顔を作りました。狙った雰囲気は醸し出せたのではないかと思います。

その他

リニューアル前にはメインコンテンツであるライブラリの更新に力を入れてきましたが、ちょっとコンテンツ作成に対して力つきたこともあって、リニューアル後のコンテンツ更新は作品リストが中心になってしまいました。偶然かも知れませんが、ちょうどこのころより、対象の作品が多く発表されるようになってきたこともあって、作品リストは毎日のように更新されています。嬉しい一方で、全ての作品に目を通して確認するのが困難になってきている現状です。メディアも10年前とは比べ物にならないほど種類が多くなり、作品を探すのは困難になってきています。多くの作品がリストに加わる一方で、見過ごされた作品も多くあるに違いありません。

以前もそうでしたが、作品探しではG-ZONEのBBSが大いに役立っています。こうして振り返ってみると、多くの人に支えられてこの10年を過ごしてきたことが良く判ります。特にBBSでは管理人として失格じゃないかと思える所を色々な方に助けられているのを実感しています。

プライベートでは、G-ZONEというサイトを立ち上げていることをことあるごとに話しているので、そうした関係からも支えられていると思っております。まだまだ理想からは遠く、サイトに対するアイディアは沢山ありますが、時間や技術的な面から実現できないでいます。歯がゆく思っておられる方も多いと思います。

また、この10年間には多くの人ともお会いしました。インターネットですと顔が見えず、文章だけのコミュニケーションに偏ります。そうした関係が良いと思える所も多くありますがその一方で、機会あればできるだけ多くの人とお会いしたいと思っています。基本的に飲んだり騒いだりするのが好きなんですね。実際、文章でのコミュニケーションと直接会って話をするのとでは、ずいぶんと印象も変わります。文章だけのコミュニケーションとは、やり取りの速度にも差がありますから、話も弾みますし楽しいですね。何か機会があれば、是非呼んでください。できる限り都合をつけて参上します。連絡方法につきましては、スパムメールの関係でご面倒をおかけしますがこちらのページを見ていただければと思います。

まだまだサイトは、しぶとく続けて行くつもりですので、お付合いいただければと思います。