結構洒落た話です。確かに100年もの間、この女の子は歳も取らずにいられたのですから、妖精達はちゃんと約束を守っています。その価値が、この女の子にはなかったというのがなかなか面白い。浦島太郎というお話が近い感じもしますが、この作品の方があか抜けてお洒落です。オチと絡むので、そのあたりは読んでからのお楽しみということで、これ以上の解説はご容赦のほどお願いします。
妖精というと、どうも羽の生えた可愛らしい女性を思い浮かべますが、一概にそうとは言えません。このあたりは翻訳上、いろいろな言葉をまとめて妖精と翻訳したため、混同された中で、特に羽の生えた妖精のイメージが定着したためだと思われます。この作品の妖精は、ドワーフではないかと思います。一般に羽の生えた妖精というのは、ピクシーとかフェアリーと呼ばれているものにありがちな形態です。ドワーフですが、これを妖精と翻訳するのは、日本の妖怪と区別しようとしたために適当な言葉が見つからなかったため妖精と翻訳され、その結果、ドワーフも妖精の仲間入りを果たしたのだと思われます。妖精という言葉を生み出した翻訳家の創造力には脱帽しますが、ヨーロッパに数多く存在する物語を忠実に伝えるという訳にはいかなかったようです。しかし、こうした混同は翻訳側の日本の問題とも言い切れず、ヨーロッパの神話や民話自体にもともとあるものです。
ちょっと脱線しますが、ティターニアをフェアリーの女王とする物語は、ケルト神話の妖精国の王オーベロンの妻がティターニアであることからきています。シェクスピアの真夏の夜の夢もこれに基づいて作られています。しかしティターニアは、もともとはギリシャ神話の流れにある女性で、彼女はティターン一族、つまり巨人族の女性です。そのためか妖精の真の姿は巨大であるとするお話もあるのです。実際にはこのあたりには複雑なヨーロッパの歴史背景があり、ギリシャ神話のニンフがフェアリーと混同されたために、こうした融合があったとも言われています。
ヨーロッパの神話や民話について詳細に説明し出すとキリがありません。これらの談義は他の本にでも譲りたいと思います。
そうそう、この作品は一応アダルト路線です。ですので、少女は小さな妖精といたすことをいたしておりますのでご注意ください。