この作品の醍醐味は、どろどろぐちゃぐちゃの中でするところです。ただのどろどろぐちゃぐちゃではありません。それは、まゆちゃんの体から出された糞尿なのです。いわゆるスカトロ趣向の作品です。しかし単なるスカトロ作品ではありません。要素が沢山盛り込まれています。
スカトロ、幼なじみ、年下の女の子、体格差、そして巨大。沢山の要素が盛り込まれた結果、それぞれのジャンルの趣向者が読んだとしても眉をひそめるかもしれません。盛りだくさんな趣向の全てが受け入れられる人は少ないでしょう。そうした意味で、この作品は挑戦的な作品と言えます。
糞尿と書くと、それだけでもう受け入れられない人は多いと思います。確かに食事時にこんな話をしたら、食欲が無くなるでしょう。しかし糞尿というものは、どこから来たものなのか考えると、果たしてそれほど汚いものなのでしょうか。
おむつの世話をする両親は、子供のおむつを取り替えるのに、さほど嫌だと思っていないように見受けられます。実際、愛情が勝れば、我が子の糞尿も愛おしくなるかもしれません。率先して触るのはどうかと思いますが、軟便かどうか手で確かめる親もいます。
愛情が強ければ、愛するものの糞尿はさほど嫌なものではないのかもしれません。そうした視点で改めてこの作品を読み返すと、異常な状態とも思えるものが不思議と異常には思えなくなるから不思議です。
この作品は、何度も驚かしてくれます。巨大な少女が登場するシーン。巨大な少女をモップで拭くシーン。巨大な少女の両太腿の間にもぐりこんで雑巾で股を拭くシーン。何度も驚かされますが、その驚きは、主人公が少女の巨大な排便に驚くシーンで最高潮に達します。その絵は強烈すぎて、ここでは紹介できません。
巨大な少女の排便は、主人公の下半身が埋もれてしまうほどで、主人公が驚くのも無理はありません。しかし主人公が本当に驚いたのは、そんな事ではなかったのです。
巨大で汚いはずの糞便が、主人公には汚いと思えなかったのです。むしろ愛おしく感じたようでもあります。巨大な正に大便を呆然と眺める主人公。それから視線は、今まさに大便が出てきた所、巨大なお尻へと移り。そしてお尻の穴と隣り合わせの糞尿にまみれた巨大な性器へと、興味が移る様が良く描かれています。
少女の出すものが汚いと感じられないところで、主人公は少女を単なる幼なじみから別の存在にしました。妹ではなく女性です。恋愛と言うと美しいですが、愛情を感じると同時に巨大な女性の体が湯気を立てて誘っているかのようです。自分の思いは判ったのですが、今度は彼女が自分をどう思っているのかが気になる番です。確かめるために目の前で誘っている巨大な体を求めたとも言えますし、本能がそのように動かしたとも言えます。
大便が主人公の気持ちの決断につながりましたが、少女の気持ちがはっきりとするのは、自分の尿を浴びた下着を下ろして全裸になる主人公を見た時です。そしてどろどろぐちゃぐちゃの状態のまま、二人は愛し合います。
すべてが有り得ない幻想の空間ですが、これほどまでにリアルに表現されているのは驚きです。
巨人の女性と普通サイズの男性が愛に陥るかどうか、しばしば議論の種になりますが、実際には有り得ないことを議論しても結論が出る事はないでしょう。議論自体は無意味ではありませんが、無理矢理結論を出す事に意義は見いだせないでしょう。この作品は、そうした幻想でしかない状況のひとつの回答だと思います。この作品の最後は、未来を予感させるだけで結論は出していません。それこそ読み手が想像力を働かせて、納得のできる自分なりの結論に導いてやれば良いのです。